HISTORY

 

[きっかけ]

高校生の頃、親父のクローゼットをあさると、70年代のYSLのジャケットなどに紛れて
70年代当時のサングラスが何個も出てきた。

ざらついた質感でエレガントな表情のビッグシェイプのサングラスは独特のオーラを放っていた。
ヴィンテージアイウェアに初めて触れた瞬間だった。

そのあと神戸のとある古着屋で、アメリカンな雰囲気の無骨でシャビーなメタルのサングラスに出会った。

5000円くらいでノーブランド物だったけど重いガラスレンズでズッシリした60年代のヴィンテージが男臭くてかっこ良く、興奮が冷めなかった。
アイウェアが自分の印象をごっそり変える、その威力に夢中になった。 

それからは弟とバイト代を貯めては国内外の古い倉庫に何十年も眠るデッドストックを買い漁った。
仕入れ先の古い眼鏡店では例えばこんなやりとりがある。

店主のオッサンは60才くらいで、30年以上前の話を懐かしんでしてくれる。

1970年代当時、OPTYL(オプチル)というオーストリアの会社がアセテートではない新素材の樹脂を発表し、それをきっかけに初めてオーストリアに行ったという話。
OPTYLによる製造の第1号であったディオールは当時、本当に高品質で本当に良く売れたという話。
DUNHILL(ダンヒル)はディオールに並ぶメンズの人気ブランドであったという話。

この人も眼鏡一筋で生きてきたんだなと実感するプライドの籠った話ぶり。
僕らがそういう話にぐいぐい食いつくもんだから、最初はぶっきら棒で気難しかったオッサンもついついテンションが上がっていっぱい話してくれる。
そんなこんなで、2階から出てきたデッドストックを見せてもらう。

こうして仕入れを重ね、どんどん新たなデッドストックをコレクションしていった。
1つ1つにロマンの詰まったデッドストックを掘り起こしていくのはかなり刺激的で、気づけばこれが僕らのライフワークになっていた。


[ウェブサイトを公開]

2005年秋、自分たちのヴィンテージコレクションを整理、披露すべくウェブサイトを作ってみた。
当時そんなウェブサイトは全く存在しなかったから、コレ絶っ対みんなビビるだろうなと想像しながら、商品をアップするたびに充実していくウェブサイトに毎日ワクワクしていた。
そして早速ちらほらと問い合わせやオーダーが入り、その反応に答えていくのに夢中になった。

国内外の眼鏡店、洋服店からオファーを受け、卸し業務をスタートするとともに、
世界中の蒼々たるファッションデザイナー、アイウェアデザイナー、バイヤーからもオファーが届いた。

バートンペレイラのパティ・ペレイラさんや、セリマオプティークのセリマさん、トムフォードのバイスプレジデント(アイウェアを含むメンズウェア統括)のピーター・ホーキンスも
僕たちからビンテージのアイウェアを買い付けて、NYやPARISなどの直営店で販売したり、デザインソースにしたりしている。
彼らもヴィンテージアイウェアのコレクターなのだ。

彼らが東京にやってきたときに、僕らがホテルの部屋まで呼ばれて行って、ベッドにいっぱい並べて100本くらい買ってもらう、シークレットでプライベートなトランクショー。

[事務所・アトリエ]

2008年、大阪の南船場という場所にある古いビルの一室に移った。自宅のワンルームから。

これでもっといっぱいのコレクションを置けるようになった。

そして少しずつ、工具を揃えて、持っているコレクションをさらに良い状態にしていった。
フレームをバフ研磨すれば艶やかになった。
くすんだフレームが艶やかになると嬉しくてワクワクして感動した。

フレームの形も綺麗に整えたかった。
眼鏡専用のヒーターを手に入れて、試しに1本温めてみたら、柔らかくなってきて、そうしているうちにウネウネになってしまった。溶けた。
気に入っていたフレームだったので凹んだ。ので、次は温めすぎないようにした。慎重に、慎重に。そうやって加減を覚えていった。
時代が違うフレームだと温まり方が違った。材質の違いを感じながら、毎回、毎回、やり過ぎないよう慎重にやって加減を覚えた。

そうやって1つ1つの作業を自分の手でやりながら、
いつも、前回よりも綺麗に仕上がるようにが目標だった。

[予約制ショールーム]

予約制にしてお客さんに来てもらうようになった。
大阪、神戸、京都のみならず、全国各地、時にはエジプトなど海外からも来てくれた。


(続く)