SOLAKZADE®AUTOMOTIVE
ソラックザーデ・オートモーティヴ
人類の歴史は、二足歩行の獲得に始まり、移動することでその「歩み」を進めてきた。我々の先祖は、あたらしい土地を見つけ、道をつくり、世界を少しずつ広めてきた。その意味では、自動車は我々人類が到達した答えであり、その登場以前と以後では、服の丈から食事に至るまで、全てが一変した。
我々は自らの身体を自動車に預け、「どこか」へ移動する。自動車での移動は、不確実なのだ。希望と死、いずれもがこの豊かな乗り物に付き纏う。そしてそれ故に魅力的だ。科学の神殿とでも言うべきか、自動車には、我々人類の理知的な部分のおおよそが凝縮され、そしてそのすべてが構築され、ひとつのかたちを成している。
その一方で、その速さ、その唸り声は我々に眠る本能を刺激する。獲物に向かって真っ直ぐに、死と隣り合わせに突き進む、遠い先祖たちの情景。自動車の普及によって、誰よりも速く、誰よりもけたたましく、誰よりも目立つという反逆の美学が、その野生とともに見出された。
そして自動車は常に希望を背負っている。その緻密さ、その獰猛さを目の当たりにした人々は、そこに夢を感じずにはいられなかったのだ。先人たちは、その見事な美意識で様々に自動車を表現してみせた。時に雄大に、ときに優雅に、またしばしば馬鹿馬鹿しくもある大袈裟さで。
自動車は、そしてその文化は、人の理性、野性、感性のすべてを込めて形作られてきた。そしてそうした自動車の在り方は、大きな変化を迎えようとしている。ソラックザーデはこの転換期において、感性を刺激する美しい車が何よりも重要だと考えている。自動運転の普及によって人間の生活に革命的な変化の夜明け前に差し掛かったいま、我々はこれまでの「豊かさ」を再検証し、新しい豊かさを作り出さなければならない。我々は、いくつかの重要なものを過去に置いてきてしまっている。デザイナーの美意識や、職人の手仕事が未だ隅々までめぐらされていたかつての車たちは、それらを呼び覚ましてくれるのだ。
ソラックザーデが蒐集する最も美しい車たちのいずれかに乗るという決断は、一人ひとりの生活を、それぞれ違った形で一変させるだろう。我儘で、気まぐれにその役目を休もうとするし、実用性を優先されて作られてはいない。だがしかしその不確実性こそが、かつての我々に夢をもたらした自動車の偉大さなのだ。
INSTALLATION
インスタレーション
「この車は、わたしをどこにつれていくのだろうか」
我々ソラックザーデが展開するインスタレーションでは、自動車をある種の神殿と捉え、「この車は、わたしをどこにつれていくのだろうか」というひとつの疑問を提示します。
自動車は、移動を繰り返しながら生命を繋いできた人類の一つの答えです。20世紀のはじめにかけて巻き起こった、自動車の普及により、世界中の人々の生活は一変しました。20世紀前半、食事も、服装も、そして思考までもが自動車によって刷新されました。自動車はその時人々が見た夢の象徴だったのです。とりわけ、手仕事で形作られた時代の車は技術と芸術の結晶です。
人々の夢を繋ぎ止め、ある時代のある思想のあらわれとして佇む車たち。それは古代の神殿と同様の役割を帯びています。かつての時代の美意識が、車という形をとって、街中や峠道を悠然と走る。白昼に亡霊を見てしまったかのような光景から抱く畏れや静かな違和感は、車に乗る際の危険性、つまり死のリスクと重なります。さらに踏み込んで言えば、常に我々につきまとう死そのものへの、強烈な自覚を与えるのです。
それは我々SOLAKZADE®の考える生き様をあらわしています。死を覚悟してこその生であり、「あたらしい豊かさ」を取り入れる試みは、死へと行進していく我々の隊列に加わることと同義なのです。
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