SOLAKZADE®︎HISTORY
SOLAKZADEの夜明け前
高校1年になった頃。親父のクローゼットを開けると、イヴ・サンローランのサングラスが出てきた。親父が買ったのは1970年代後期の頃らしい。瑞々しい質感で大きなサイズ感のプラスチックフレームに薄いグラデーションのレンズカラーで、校則が厳しく髪が長くない自分にはすぐに似合うことができなかったが、心がぎゅっと掴まれて暴れ出す程であった。
神戸の海岸近くにたくさんあった個人の古着屋に1人で通った。クリスチャンポーという店にも。ルイヴィトンの店舗裏手にあった入口から入るビルのエレベータを3階に上がると、店の入り口に続く廊下の壁沿い足下にはキャンドルが揺らめいていた。
この頃から神戸と京都と奈良に1人で足を運ぶようになった。
SOLAKZADEの産声
2005年10月。大阪。兄、龍允が一人暮らししているマンションに弟の竜がよく来ていた。スケッチブックに頭の中の設計図を書いていた。1つの世界観を中央において、ヴィンテージの眼鏡、家具屋などあらゆるジャンルの専門店を、放射状に衛星のように浮かべた図。
「世界一ヤバい店を作る」
21、22歳の岡本兄弟にとって、それはまるでテロリストのような構想でした。まずは誰もやったことがないレベルで、時代や国やスタイルを縦横無尽に物で埋めていきコレクションしていきました。まだ見ぬ強者達からリスペクトを勝ち取る戦いに備える心境は、まるでトレーナーと二人三脚の孤独なボクサーのようでした。2012年に店舗を原宿にオープンさせてからは、提案スタイルで最もヤバいレベルの体験を作ることにこだわり、物だけでなく、消えゆく技術の継承に取り組む中で、消えゆく機械や道具のコレクターともなり、レンズメーカー等とも協業してきました。
古き良き専門店は、豊富な専門知識と技術でお客さんを分厚く面倒見る気概、誇りを持っていた。昔はどの町にでもあった、呉服屋、テーラー、バーバー、そして肉屋、魚屋、米屋、薬屋、菓子屋、全てが個人の専門店でした。ソラックザーデは、「眼鏡・時計・宝石店」という技術の似た昔の専門店形態に自然に行き着き、、将来的に、船や住宅にも野望を膨らませています。