1970年代〜1980年代の時代背景や音楽的文化。つづき。 当時、ニューヨーク市マンハッタンから近い土地に位置するサウス・ブロンクスは、建設開発に伴い多くの人々が街を離れ、廃屋化が進んでゲットーとなり、ギャングやジャンキーによる犯罪が増えていきました。そこは『スラム街』『都心の荒廃』と呼ばれ、アメリカで最も危険な街となりました。
貧しく厳しい環境の中でも希望を見出す為に、多くの若者が知恵を絞って様々なカルチャーを生み出します。グラフィティは壁にスプレーで落書きをするアート表現ですが、当時、貧しい若者が絵を描く道具やキャンバスを買えないから壁や電車に落書きをし始めたり、ギャングの縄張りを示す為に描いたのです。
僕が70年代〜80年代の時代背景を探っている中で、ヒップホップ文化に注目してグラフィティの歴史に興味を持ったのは、チャーリー・エーハーン監督が製作した映画『Wild Style(1982)』とトニー・シルバー監督が製作した『Style Wars(1983)』を見てからです。ヒップホップカルチャーの古典で代表的とも言える映画。
当時のニューヨークで社会現象になり問題となっていたグラフィティは、バスキアなどの登場によりアートや芸術作品などのくくりにされていますが、それまでグラフィティは公共物破壊活動としてニューヨーク市長は見なしていました。グラフィティライター達と戦争とも言える争いを繰り広げていて、この映画は様々な角度から当時のサウス・ブロンクスの文化背景を描いています。
1973年にサウス・ブロンクスでDJクール・ハークがパーティを主催し、3000人近くの人を集めたという話があります。そのパーティで初めて披露されたDJクール・ハークのジャマイカ仕込みのサウンドシステムを駆使したブレイクビーツが、ヒップホップという新しいジャンルを生むことになりました。そのパーティが開かれた場所1520 Sedgwick Avenue(セジウィック通り)は、「ヒップホップ誕生の地」として行政に登録されています。
先ほど紹介した映画の、劇中に登場してくるB-BOY達が着けている様々なアイウェアも、この年代のアイウェアを語る上では外せない重要なアイテムが登場し、それは後にオールドスクール・ファッションと呼ばれるアイテムとなっていきます。
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