History of Japan Eyewear Manufacturing: Osaka, Tokyo & Sabae / by solakzade

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日本のアイウェア製造のメッカといえば、

福井県鯖江市。

1905年、増永五左衛門氏によって始まり、100年以上の歴史を誇る。

「工業製品」としての鯖江の眼鏡作りが、世界一の技術で支えられている。

この世界一の技術は、「分業」によって進化した。

五左衛門の頃は、ネジ一本からメガネの全てを手で作ったと言われているが、彼の死後は、それぞれが独立。

試作屋、ネジ製作、鼻パッド製作、メタルフレーム製作、セルフレーム製作、テンプルシューティングなどそれぞれ1つのことに特化して独立していった。

この「分業」によってそれぞれの会社内で専門的に技術が進化し、今日の鯖江の世界一の技術がある。

だから一本のフレームを作るのに、鯖江の中で、複数の会社が連携する。

ちなみにMade in Japanの眼鏡フレームの95%は、この鯖江で作られている。

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(画像元:http://www.megane.gr.jp/museum/contents/knowledge/sabae.html)

鯖江については名前を知ってる人も多いと思う。

しかし実は日本の眼鏡作りは鯖江だけじゃないんです。

鯖江の前は、大阪と江戸がメッカだった。

[大阪の眼鏡作り]

1800年代後期、明治初期の話。

当時の大阪には、ヨーロッパから持ち込まれた技術で、一本一本のメガネを銀などで工芸的に作るスタイルが生まれた。

そして特に眼鏡レンズの発祥の地である大阪の生野にはいまもレンズメーカーが工場を構えます。

1905年に増永五左衛門が鯖江にメガネ産業を興したときも、眼鏡の本場である大阪から優秀な職人を鯖江に連れて行った。

あまり知られていないけれど、実は大阪もメガネ製造・流通における重要な拠点であり

大阪にはいまも優れた偏光レンズ・ガラスレンズのメーカーや眼鏡工具・材料屋さん、加工・修理職人、そしてオーダーメイド眼鏡工房が存在している。

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[東京の眼鏡作り]

そして、東京にも江戸時代から続く、鼈甲眼鏡や金無垢眼鏡を工芸的に作る歴史がある。

分業ではなく、一つの工房内で完結して素材から眼鏡にまで手仕事で仕上げる。

もう大阪には産地としての眼鏡フレーム作りはほぼ残っていないけれど、東京にはまだ残っている。

1980年代のバブルの頃のような職人の数ではなくなってしまっているけれど、

1人や少人数で運営される工房がまだ東京にはいくつかある。

鼈甲や金無垢での眼鏡作りは、彫金などとともに東京都に伝統工芸として指定されている。

「工業製品」ではなく「工芸品」としての金無垢フレーム。

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現在の日本製眼鏡フレームは、

「鯖江製の工業製品」と「東京製の工芸品」があり、

そして「大阪製のレンズ」がある。

みなさんは工業製品と工芸品の違い、わかりますか?

日本の眼鏡作りにおいて、大阪も、鯖江も、東京も、

それぞれで重要な役割を果たしてきた。

そしてSOLAKZADEのオリジナルフレームを制作するにあたっても、

その制作方法として、

結果的に、鯖江、東京、大阪の3都市での価値を総動員したやり方になっている。

 

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